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お知らせ
文責 医療ジャーナリスト 岡林秀明(星林社)
https://youtu.be/XuHOqUpHNao
本章は語る会代表 成田渉医師の対談を収録させていただいた。医師からの報告だけではなく、治療を受けた患者さんの体験談を載せることで、より多くの方に興味を持っていただけるのではないかと思ったからだ。
本章に登場していただくのは宮崎県の木村邦子さん。延岡市に本拠地を置き、県全域で幅広く仏壇・仏具事業を行っている「お仏壇・お墓のきむら」の代表取締役だ。70歳を超えておられるが、かくしゃくとしており、きわめてお元気。ただ、ここ数年、腰の痛みのため動けなくなり、「なんとならないか」と亀岡市立病院にやってこられた。
なお、対談の進行役は医療ジャーナリストの岡林秀明が行った。
――本日は、お仏壇・お墓のきむら南宮崎店さくら館にお邪魔しました。木村社長、よろしくお願いします。
木村 こちらこそ、よろしくお願いします。
成田 広いですね。しかも明るい。仏壇店の暗いイメージがありません。仏壇・仏具はもちろんですが、屋内に墓石も展示されているのにびっくりしました。通常、墓石は屋外で展示されますよね。
木村 ここは2007年(平成19年)にリニューアルオープンした店で、仏壇店では南九州最大のフロア面積を誇ります。ゆとりのある明るい開放的な空間で、お客さまをお迎えしております。屋外だと風雨、暑さ・寒さもありますので、天気によっては、じっくり見るわけにはいきません。
墓石を屋内に展示したことで、雨にも濡れませんし、夏は涼しく、冬は温かいところでお墓を見ていただける。ゆっくり吟味できるとお客さまにも好評です。
――さっそく病気のことを伺いたい。どんな症状でしたか。
木村 ともかく腰が痛くてたまらないんです。きっかけは延岡観光協会の副会長をしているものですから、宮崎ブースでキンカン売りなどをしたことでした。寒い時期に一日中立ちっぱなし。その後、「花物語」というイベントがあり、寒いところに3日間。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり飛び回っていたら、ついに動けなくなりました。(※このへんの話は観光協会の仕事をしたから腰痛になったと受け止められかねないのでカットしましょうか)
地元のクリニックで、2年半くらい、電気治療したり、注射を打ったり、いろいろと治療を受けたのですが、治りません。2年半後、「手術しましょう」といわれました。最初は「手術しなくても治る」といわれていたので、腑に落ちません。
「セカンドオピニオンが大事」と聞いていましたので、娘にインターネットで「整形外科の名医」を探してもらいました。「整形外科」「腰の痛み」「名医」で検索すると、成田先生に関する記事が、たくさんありました。
ずいぶん評判がいいこともわかりました。「思い立ったが吉日」で、すぐに亀岡市立病院を訪問しました。2023年12月のことです。
先生にお会いして診察を受けているとき、「この方なら、おまかせできる」というインスピレーションがわきました。先生から手術を勧められましたので、「先生、何日なら空いていますか」と、その場で手術の日を決めました。私どもの商売もそうですが、信頼感は大事です。信用と信頼がないと高額なものは買えませんし、買ってもらえません。医療も同じだと思います。
成田 一般的に地方へ行けば行くほど手術はしませんね。薬物療法や運動療法などの保存療法で対応することが多い。極論をいうと私たちの扱う疾患は、がんや心臓疾患などとは異なり、放置したからといって命にかかわるわけではありません。
ですから根治を目指す必要がない。ただし、QOL(生活の質)やADL(日常生活動作)は確実に悪くなります。病院に行くと「歳だからしかたがない。70歳を超えているのだから、足が痛い、腰が痛いぐらいはガマンしないといけない」といわれることが多いんです。
私の場合、京都府外から来られる患者さんも少なくない。奈良県、滋賀県、三重県、福井県など関西が多いのですが、多くの方が「地元の医療機関では手術してもらえなかった」と話しています。
――どうして地元の医療機関では積極的に手術しないのでしょうか。
成田 理由のひとつは手術の難しさがあります。脊椎、特に首(頸椎)の手術は難しく、神経や筋肉を傷つけてしまうと痛みや麻痺が残ります。手術時間も4~5時間かかります。
先日も男性アイドルとして一斉を風靡した芸能人が首の手術をしました。5時間半かかったと報道がありました。時間がかかると出血のリスクも高くなるし、合併症の危険も増します。だから医療機関の本音としては手術をやりたくないんです。
木村 私はゴルフが大好きで、もういちどゴルフ場に立ちたかった。痛みがなくなる可能性があるなら、ぜひ先生に執刀していただきたいと思いました。
成田 好きなことができなくなるのはつらいですよね。患者さんのQOLやADLを少しでも改善したい。そのための手術です。
手術自体も、できるだけ患者さんに負荷をかけないように行っています。手術の道具や手順などを工夫することで、手術時間を短縮し、出血が少なく、回復が早い手術を実現しました。患者さんのダメージが少ないので、お歳を召された方でも手術を行うことができます。
――病名はなんだったのですか。
成田 腰部脊柱菅狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)です。高齢者に多い病気で、70歳以上の方の7割が罹患しているといわれます。脊柱管は脊椎の後ろにあり、脊髄(脳と体の各部位をつなぐ神経の束)が走っています。
この脊柱管が狭くなり(狭窄)、神経が圧迫されることで痛みやしびれ、麻痺などの症状が起こります。
脊椎は上から頸椎(首)、胸椎(胸・背中)、腰椎(腰)と呼ばれ、腰椎で発生するのが腰部脊柱管狭窄症。脊柱管狭窄症の中で最も患者さんが多い病気です。症例を、たくさん診てきましたので、実は患者さんから話を聞くだけで脊柱管狭窄症だと見当がつきます。
ただし、検査は、きちんと行います。CT、MRI、X線をとって何番の骨のどこが、どのように悪いかを確認し、他の病気である可能性を消していきます。腰の痛みや歩行困難の原因となる病気は、いろいろあります。悪性腫瘍が原因の場合もあります。狭窄症だと見当はついても、CT、MRI、X線を撮って確定診断をしっかりとらないといけません。
木村 びっくりしたのは1日で診察・検査・診断・手術日の決定が、すべて終わったことです。
成田 患者さんも忙しいですからね。木村さんのように遠隔地から来られる方も多いので、何回かに分けて、というわけにはいかない。日を改めて検査する病院が多いと思いますが、亀岡市立病院では、その日のうちに全部済ませます。
異例中の異例だと思いますが、私の診察日はMRIを、ほぼ私のために空けてくれている。その日はMRIもフル回転です。
まず診察、続いて検査を行い、MRI、X線などの検査結果をもとにして、もう一回診察という流れです。手術すると決まったら、「いつ来院できますか」とお尋ねして入院日・退院日を決め、「だいたい○日には社会復帰できます」とお伝えします。
1日で全部終える医療機関がないわけではありません。高額な自由診療の病院や小さいクリニックの中には、そうした対応をしているところもあります。ただ、公立病院で、そこまで組織化・手順化しているところは少ないし、ひとりの医師のために設備・機器を空けておくなんてことは聞いたことがありません。
木村 印象に残ったのは先生と、先生のチームの段取りのよさです。私は事業を運営していますから、段取りのよさ・悪さが、ものすごく気になります。手術・入院が決まったら入院担当のスタッフ、看護師、栄養士が着て手順を説明してくださった。
コルセット担当の技士も着て採寸されるし、入院・手術が、きちんとシステム化・手順化されていました。私が「チーム成田ですね」といったら、看護師の方が「その通りです」と。チームとしての意識が浸透していることに驚きました。
もう一つ驚いたのは先生が病院内を小走りで移動されていたことです。本当に秒刻み・分刻みで動いていらっしゃる。外来に立つ日、先生は一日一食で済ますと聞きました。
成田 食べている時間がとれないんです。外来の日は朝から、ほとんど休憩もとれません。だいたい午後8時くらいに終わりますから、それから遅い夕食をとります。
以前は検査などのために改めて来ていただくようにしていたのですが、数年前から京都府外からの患者さんが増え、ワンストップで対応するようにしました。もちろん心臓疾患など他に持病がある方などは複数回来ていただく場合もあります。
――脊柱菅狭窄症の場合、どのような手術を行うのですか。やはり先生独自の術式を採用されているのでしょうか。
成田 独自に改良した術式を使用しており、患者さんの体への負荷が少ないミスト法を採用しています。
除圧術(狭くなった脊柱管を広げることで、筋肉への圧迫を取り除く術式)の一種で、筋肉を温存するのが大きな特徴です。具体的には正中から脊柱管内に進入。顕微鏡を使って神経の圧迫状態などを確認しながら、狭窄を起こしている部位周辺の骨を削ったり、靭帯を取り除いたりして広げていきます。この術式には
① 出血が少ないので、広い術野が得られる
② 筋組織に対する侵襲が少ない
③ 椎間関節を温存できる
など、いろいろなメリットがあります。切開創も約3~4センチメートルで行えますから、術後の痛みも少ないんです。
高性能の手術用顕微鏡を使わなければ、この手術はできません。顕微鏡を使うことで、私も助手も拡大した神経や狭窄状態を、きちんと見ることができます。私独自の術式ではないのですが、切る幅・削る幅を小さくしたり、神経を傷つけないようにしたり、細かい工夫も欠かせません。
脊柱菅狭窄症の場合、やはり神経に触るリスクがあります。ちょっと間違ったら、翌日から車椅子になりかねない。細心の注意が求められます。
――手術時間は、どれくらいかかるのですか。
成田 私の場合、脊柱管狭窄症なら約40分です。
木村 段取りがいいから、早いんでしょうね。
成田 1時間かからないように手術を組み立てます。ただし、時間を短くすることが目的ではありません。時間がかかればかかるほど合併症の危険性が増すというデータがあります。手際よく進めることが大事です。
時間を縮めるために、いろいろな工夫をしています。1つ目は出血をさせないことですね。出血すると血で組織が見えなくなるので、そこから先へは進めません。まず血を止めないといけない。時間がかかります。
2つ目は実は臓器・組織が、どこにあるのか、開けて見ないとわかりません。人によって大きく異なる。脊椎だったら、どこに骨があり、どこに神経があるのか、見失ってしまうと時間がかかります。
逆にいえば、一発で患部に行ければいいわけです。そこでバーチャルリアリティ(VR)を使うことにしました。VRを使うことで、目的とした部位に容易に行けるようになりました。開いてから探していると、探すだけで30分~1時間かかる。病変にストレートにアプローチすることを心がけています。
3つ目は手術の道具を自分専用に作りました。ドリル先も自分で開発しました。神経を傷つける理由はドリル先が引っかかったり、ダイヤモンドがすり減り、合わなくなったりするからです。そこで神経を切りつけにくい形をした道具を作りました。
そうした、いろいろな工夫をすることで、出血が少なく、手術時間も短く、患者さんの回復も早い手術を目指しています。
――歩行を開始されたのは手術の何日後ですか。
木村 手術の翌日ですね。腰の痛みは手術当日、麻酔から目が覚めたら、すっかりとれていました。
成田 体への負荷が少ない手術ですので、早期離床が可能です。亀岡市立病院では、ほぼ99%の方は手術翌日から外固定なしで歩いていただくようにしています。
私が研修生の頃ですから、20年前になりますか、脊椎手術をしたら1週間、ベッドに寝ていなければいけませんでした。ところが、1週間も寝ていると血栓ができるんです。特に年配の方はできやすい。血栓ができると脳梗塞を起こしたり、呼吸できなくなったりするので、早期離床が大事です。私は「手術翌日から、ご飯を食べて歩いてください」といっています。
――手術後に「痛い」といわれる患者さんいらっしゃいますか。
成田 固定術という、骨に太いボルトを入れ、ずれた骨を治す手術の場合、痛みがある場合があります。MILD法の場合、そんなに痛みはないと思います。筋肉を切らないように工夫していますから、体へのダメージが少ない。筋肉を傷つけると痛みもありますし、後遺症が出やすくなります。
――退院までは何日くらいかかったのですか。
木村 先生とは2週間とお約束していたんですが、痛みもないし、普通に生活できそうだったので、10日で退院しました。
成田 予想より回復も早いし、検査の数値の割には、お元気だったので許可しました。60~70歳を超えると数値だけで判断するわけにはいきません。同じ数値なのに、ものすごく元気な人と、そうでもない人がいます。
木村さんは回診の際、大きな声で「こんにちは」とあいさつされるので、これなら大丈夫と判断しました。ただ、実は脊柱管狭窄症になる人は年齢の割に元気な人が多い。活動が活発だと、脊椎が擦れてくるんですよ。膝も、そうですが。
木村 私、膝は痛くないんです。
成田 それは多分、木村さんの体が細いからです。年輩の方で太っている人は、ほとんどといっていいほど膝が痛くなります。
――治療を通しての成田先生の印象を話していただけませんか。
木村 ひとつ思ったのは先生が私の話をきちんと聞いてくださったことです。自分も安心できますし。お忙しいせいか、話を聞いてくださる先生って少ないんですよ。手術前も、手術後も、しっかり患者さんを見ていらっしゃることにも感激しました。
成田 患者さんお一人おひとりに、そんなに時間をかけているわけではありません。診察時間も、せいぜい5分くらい。ただ、木村さんは宮崎県から来られたわけですし、5分では寂しいのではと思って、10分くらいとりました(笑)。
木村 時間の長さではないんです。段取りがいい。初診・検査・診断・手術・手術後のフォローとシステム化されているので、その都度、的確に話をしてくださる。手術についても納得がいくよう、しっかり説明してくださったので、不安も引き飛びました。
成田 そのプロセスの中では特に診断を大事にしています。医療の世界では足の痛い原因が間違っていたとか、腰痛の原因が実は、がんだったといったことがあります。
症状によっては手術しないほうがいい症例もあります。薬物療法などの保存療法で対応できる症例もありますし、ブロック注射で粘れそうな症例、切っても治らない症例、整形外科が対象とする疾患ではない症例、専門病院を紹介したほうがいい症例など、いろいろなケースがあります。10人が来院されても、手術まで行く人は約半分、5人程度です。
木村 もうひとつ、印象に残ったことは、このお仕事が天職だと思っていらっしゃることですね。ご自身がおっしゃられたわけではないのですが、医療の世界で脊椎・脊髄疾患治療の第一人者を目指されて、それを実現されている。「天職である」という覚悟と自負を、ひしひしと感じました。
私も、お仏壇屋が天職だと思っています。その覚悟と自負で仕事に臨んできました。「この業界でナンバーワンになろう」と思って、懸命に誠実に取り組んできたからこそ、これだけのお仏壇屋ができあがったと自負しています。
成田先生には誰も真似できないような風格と信頼感がある。入院したとき、看護師、スタッフの皆さんから尊敬されていることが自然にわかりました。
3つは、それだけの実績をお持ちなのに、非常に謙虚なんですね。患者さんに対してもフランクではあるんですが、腰が低い。退院の際、金一封を用意していったんですが、「それは受け取れません。むしろ、お手紙をください」とおっしゃられたんですよ。
成田 金一封はお断りしています。無理やり押し付けられたり、患者さんがこっそり置いていったりということはあるんですが、そのときは看護師長や看護師に「○○さんに返しておいて」と言って、返してもらっています。
理由は公立病院でもあるし、診察料はいただいていますし、それとは別に金銭を頂戴するのは理に合わないと思うからです。お菓子などは看護師やスタッフに回すこともできるので頂いていますが、金銭や商品券の類は、お断わりしています。看護師やスタッフも医師の姿・行動を見ていますからね。
木村 皆さん、「先生のためなら」と一致団結して取り組んでいました。「手紙をもらいたい」というのは、どうしてですか。
成田 写真や手紙は一生ものだからです。ずっと残っていく。そういう意味では歴史的な記念物のようなものです。普通の職業で感謝の手紙をいただくことは少ないと思いますので、手紙をいただくと、たいへんにうれしい。手紙ではなく、自作の絵を持ってきてくださる方もいます。
先日、ある患者さんがコンサートの招待券を送ってくださった。若い女性の方で、2023年、首の手術を行いました。頚椎症で手が動かなくなった。「バイオリンが弾けなくなったので、本当に困っています」と病院に来られたのですが、原因は手ではなく、首だったんですね。
手術は成功し、手も動くようになりました。「趣味でバイオリンを弾いている方かな」と思っていたんですが、「コンサートができるようになりました」という喜びの手紙とともに招待券が同封されていました。プロのバイオリニストでした。京都の結構有名な会場でなさるようで、私も音楽には興味がありますので、ぜひ伺いたいと思っています。
木村 プロのアーティストでしたら、手が動かなくなったら、人生に絶望するんじゃないでしょうか。成田先生という「最後の砦」があって本当によかったと思います。
成田 美容師の方もそうでした。77歳の美容師さんの手が動かなくなった。お仕事でもあるんですが、その人にとっては美容師の仕事が生きがいです。「たくさんのお客さんにも申し訳ない」とおっしゃっていました。
手術は成功し、無事、美容師の仕事に復帰されました。単に病気を治すだけではなく、生活を取り戻すことのお手伝いをしているわけです。
建築家やアーティストの場合、建物や芸術作品が残る。医者の場合、どんなにいい治療をしても、そうはいきません。残すためには形にしないといけない。もちろん、患者さんが元気に生活していただければ結果は残したといえますが、手術や治療の様子自体は残りません。
ですから、近年、動画を撮るようにしてきました。動画にすれば半永久的に残ります。手術を何百回、何千回繰り返してきて、やっと「残すこと」の重要性に気づきました。
木村 治療や手術も動画で残せば広く一般の方への啓蒙となるとともに、後輩のお医者さんへの教育にもなりますね。先生の手術を参考にしたいと考えている医師の方々は多いですから、そういう意味でも動画を残すのは大賛成です。
私どもも似た感覚があります。私は「喜びの商い」と呼んでいます。お仏壇をお売りして、しばらくしてからお客さまのお家を訪問して、お仏壇に手を合わせます。そうすると、お客さまの生の反応がありありとわかる。多くの方が心から喜んでくださっています。
そういう反応を見ると私もうれしい。喜んでくださったお客さまが別のお客さまを紹介してくださることも多いんです。お客さまがお客さまを呼んでくださる。
おそらく成田先生も、そういうふうに患者さんが患者さんを紹介してくださっているんじゃないでしょうか。自分は治ってよかったから、同じように悩んでいる人をなんとかして助けたいと思って、先生を紹介している。
おそらく名医というのは、そういうふうに自分が知らないうちにご縁を広げていっている方なのだと思います。
――痛みがなくなったことで、行動範囲も広がったとお伺いしました。
木村 県内だけでなく、どこへ行くのにも苦にならなくなりました。先日は比叡山に行きました。実は比叡山には私が建立した若山牧水の歌碑があります。その歌碑の前で記念写真を撮りました。腰が痛いころは比叡山へ行くのは難しかった。ようやく願いが叶いました。
牧水は30代の頃、比叡山の山寺に滞在したことがあります。その縁で牧水が比叡山で詠んだ歌を歌碑として残したいという話が持ち上がりました。ただし、建立するためには少なくない費用がかかる。仕事柄、比叡山とも関係がありますので、私のところへ「歌碑の建立費用を負担してもらえないか」との話がありました。
世界文化遺産の山ですから、私人が何か建てようと思っても、簡単には建てられません。会社の墓石事業部をスタートさせて、ちょうど1年経った頃でしたので、これもご縁だと思い、金額も聞かずに「いいですよ」と即答しました。
さきほどの先生のお話とも関係しますが、半永久的に残る歌碑にかかわらせていただきました。先代である祖父のころから築き上げてきた関係が生きているなと実感しました。
つぶれた骨は元に戻らない。早め早めに骨粗鬆症の治療を
――いま現在、お体のことで悩んでいることはありますか。
木村 身長を測ると以前より背が低くなっているのが気になりますね。
成田 確かに手術したときより、ちょっと背が丸くなっていますね。椎骨が潰れている可能性があります。女性の多くが骨粗鬆症もしくは骨粗鬆症予備軍で、骨がもろくなり、圧迫骨折などを起こしやすくなります。
木村さんには、できればイベニティという注射を打ってもらいたいと思います。イベニティは骨粗鬆症に対する薬で、医療機関で月1回、12カ月にわたって皮下投与します。そうすることで、骨密度の増加が期待できます。従来の骨形成促進薬は1日1回~週2回自己注射を行うものでしたが、イベニティは医療機関で打ってもらわなければなりません。
延岡でも整形外科であれば受けることができます。紹介状を書きますので、ちょっと値段は高いのですが、絶対に打ったほうがいいと思います。
木村 地元の医療機関では骨密度は数字的には、そんなに低くないといわれました。
成田 一般的な病院で、骨密度を測ると「数値は何パーセント、あなたは、まだ平均より上だから大丈夫です」とよく言われます。
ただ、それは古い認識で、最新の骨粗鬆症のガイドラインでは脊椎が一箇所でも潰れた人の場合、骨密度の数字が何パーセントであろうとも、きちんと骨粗鬆症の治療をしないと、悪化していくと書かれています。
平均寿命が70歳代のころは骨粗鬆症の治療の必要はなかったかもしれませんが、今の時代は80~90歳代でも元気な方が多い。健康寿命を維持するためには早めに早めに予防しなければなりません。一箇所でも潰れたことのある人は何らかの介入をしていく必要があります。
「病院で骨密度を測ったら数値が80%以上あるから、飲み薬だけで大丈夫ですよね」という方が結構います。一箇所でも折れたことがある人は数値がいくらだろうとも治療をしたほうがいい。
木村 背が丸まってくると、年寄りに見えるんですよ。それが嫌で、なんとかしたいとは思っていました。
成田 つぶれた骨は戻りません。一生戻らないわけですから、つぶれないようにしなければいけない。木村さんは、たいへんにお元気ですから、先は長い。健康寿命を保つためにもイベニティの治療を始めましょう。
椎骨が潰れると、せっかく広げた神経も、また潰れる可能性があります。神経が圧迫されると、手術して痛みがなくなったのに、また痛みを感じるようになるかもしれません。最良の作戦を考える必要があります。
健康寿命を延ばしていくことが、なによりも大事
木村 運動は問題ないのでしょうか。
成田 運動は全く問題ありません。むしろ日常生活の中で気をつけることのほうが多い。尻餅をついたり、つまずいたりしたりしただけで骨が折れます。なぜかといえば、高齢になると骨が薄くなるからです。
特に女性は閉経するとホルモンのバランスが変化し、60歳ぐらいから、いきなり骨が薄くなります。男性はホルモンが違うので、骨粗鬆症はあまり起こりません。高齢な女性、特に70歳を超えた女性は、こけるとかなり高い確率であちこち折れます。だからこそ、介入していく必要があります。
健康寿命と平均寿命とは違います。今は健康寿命を延ばしていくことが大事です。平均寿命が延びたとしても元気でなければ意味がありません。寝たきりになったら、生活の質も低下します。痛みがなく歩け、手足が自由に動き、元気に生活できる期間を延ばしていくことが大事です。
木村さんも手術しなかったら、もっと神経がやられて歩くのが不自由になったかもしれません。医師は生活の質を維持・向上させるお手伝いをしていると理解していただけるといいと思います。
骨粗鬆症の治療は絶対に続けたほうがいい。放っておいたら弱くなりますから、治療をしていかないと、どんどん骨は弱くなります。骨を丈夫にする食べ物もありますが、それだけでは追いつかない。
一回、骨がつぶれた患者さんはドミノのように次々につぶれていきます。「少し痛みはあるけど、たいしたことはないだろう」と自己判断して医者に行くのをためらっている間につぶれています。
木村 私たちは団塊の世代です。70歳を超えた頃から、あちこち故障する同窓生も増えてきました。亡くなる方もいて、お葬式や通夜に行くことも珍しくありません。
仕事が仕事ですから葬儀などに出席させていただくことも多い。いわゆるピンピンコロリの方もいますが、闘病生活の末に亡くなる方も少なくありません。闘病生活が長いと家族もたいへんですから、やはり健康寿命が大事だなと、つくづく感じられる仕事でもあります。
先生には健康寿命を延ばしていただきました。感謝しかありません。私は仏教的なところで育てられましたので、感謝と祈り、供養の心を持って、これからも、この事業を続けていきたいと考えています。
1902年(明治35年)、木村重五郎氏によって創業された。1985年(昭和60年)、法人化し、有限会社木村佛具店を設立、木村邦子さんが代表取締役となった。
長く延岡市で事業を営んできたが、平成に入ると宮崎店、日向店、南宮崎店、高鍋店を相次いで出店し、陣容を整えた。2007年(平成19年)には南九州最大級の南宮崎店さくら館がオープンした。
墓石事業をスタートさせたのは平成11年(1999年)。超えなければいけない障害は多かったが、中国地方の事業者との信頼関係を築き上げることで石の調達ルートを確立。直接取引でコストを削減し、設計・施工からリフォームまで自社で一貫管理する。2013年(平成25年)、さくら霊園(宮崎市)の管理委託業者として霊園管理事業へ進出した。
「お仏壇やお墓に手を合わせることは、ご先祖に感謝するだけでなく、すべての方々に感謝するという特有の文化を育んできたと思います。そうした感謝の心が通じ合う社会をつくりたい。事業を通じて、その一端を担いたいとの思いで取り組んできました」(木村社長